Shimakichi
2.方法
3.結果(事実)
4.結論(考察)
この構成は、中学の理科実験のみならず、じつは自分がこれまでに書いたほぼすべてのレポートに共通に使える、きわめて汎用性の高いアーキテクチャーで あった。大学のレポートも、卒論も、いや学位論文だって、この構成を基本として作成した(多少は複合し応用したが)。会社のレポートも、ほぼすべてこの フォーマットで書ける。無論、レポートの種類に応じて、これとは違う書式や構成で書くことはある。だが、事実と思考を他者に報告し共有するために、共通し て依拠できるスタイルという点で、最も適した構成だと断言できる。
最初の「目的」は、明確に書く。何が問題なのか。何を明らかにしたいのか。その行為に至った背景と意図。自分の持っている仮説。そして、「何が明確になれば、本目的を達成したと言えるのか」を、きちんと定義する。そうすれば、「結論」のところで、成功したとか、失敗だったが教訓を得た、という風に書きやすくなるし、最初と最後がきちんとかみ合うので全体構成がまとまるのである。
次の「方法」 は、調査なら調査の方法を、実験なら実験の方法を書く。どのように問題にアプローチしたか、どう事実を収集したかを書くのである。たとえば調査ならばネッ ト検索で当たりをつけ、参考書や文献を読んで調べたとか、実地に訪問して見てきたとか、経験者たちをインタビュー調査したとか、あるいは実験してみたとか である。図などを利用して簡潔に書こう。適切に調査したのか、再現性はありそうか、が読む人に判断できればそれでいい。
「結果」 は、事実の記述である。普通は、予備的な調査の結果がまずあり、それから本調査のデータや記述が並ぶ。表や図などを使って、わかりやすくまとめることが肝 心だ。レポートは長ければ良いというものではない(一部の官庁系の請負仕事をのぞく--あの分野には「100万円の委託業務だからレポートの厚さは最低 10cmね」などといったナンセンスな要求が存在する)。もしもデータ量が多くて長くなりすぎるときは、詳細は「添付資料」にして本文を短くする。レポー トの読み手は上司だったり顧客だったり関係者だったりするわけで、書き手を批評できる立場にある。だからわかりやすさが尊ばれる。
「結果」を書くときの注意点は、事実と意見をなるべく区別しようという態度で進めることだ。その一つの方法は、言葉(形容詞)ではなく、数字で記述するよう心がける事である。「大勢の人が感心した」と書かずに、「70%の参加者が『興味を持った』とアンケートに回答した」という具合だ。あるいは、「4人の著者のうち、3人がこの見解に賛同している」と書く。こうすることでレポートの客観性が増す。
む ろん、哲学的に言えば「事実」と「意見」は厳密に分けられるものではない。どの事実を報告し、どの事実は無視するかを決める時点で、すでに書き手の価値観 と評価が入り込む。しかしここでは、客観性を尊ぶ姿勢で書くことが、読み手の受容度を上げるポイントだと考えよう。なぜなら、同じ手順を踏めば、読み手も 同じような結果を得られるはずだ、と思わせるからである。
「結論」の部分は、前節とは逆に、自分の考察や評価、つまり意見を書く。このように客観的事実のセクションと主観的意見のセクションを分離することにより、「君の結論には賛成できないけれども、このレポート自体は役に立つ」という風に、有用性を認めてもらう可能性を高められる。モジュラリティを高めることで再利用性を確保するわけである。
考察を書く際に一番大事なポイントは「気づき」だ。単に数字やデータの並びを眺めただけでは気づかない点を「発見」できると、考察の価値が生まれてくる。そのために、数値をグラフ化して傾向や相関関係をつかんだり、あるいはエピソードを4象限のフレームワークで プロットし分類したりして、その「気づき」を伝えることだ。「目的」では意図と仮説を記述した。「結論」では、肯定的であれ否定的であれ、その仮説が検証 される訳だが、ここに新たな気づきが加わることによって、考察の多面性が生まれる。結果として、最初の問題は解決したが別の問題に気づいた、となっても構 わない。むしろそのような態度こそ、次につながる前向きな書き方だと言えよう。
このように考えてみると、良いレポートというものは全体として、ある一つのキーワードを軸に構成されていることが分かる。それは『検証可能性』 である。「目的」で仮説を提示し、「結論」でそれを検証する。「方法」も追試検証が可能なように記述する。「結果」では誰でも真偽を判定できる客観的事実 を並べる。このように、他者にとっても検証可能な形でレポートを提示することで、その再利用性と信憑性が高まるのである。
レポートとは、事実と思考を他者に報告し共有する道具だ。そこでは「自分の名札付きの意見」は珍重されない(自分が斯界の権威でない限り)。誰が行っても同じ結論に至る、無名の客観性が重要なのだ。では、レポートの質や創造性はどこに出るのか? それはスタイルにはない。「仮説」設定の上手さと「気づき」の深さで評価されるのだ。”
(via tmgn-pix)
ペッパーランチでの強姦事件。
いろいろ裏がありそうだとのこと。
犯人の自供の内容があまりにもやばくて、報道規制が敷かれているとのこと。
店の制服を着たまま、店内で犯行をはじめるということは、素性などがばれても問題なかったということ。
つまり、犯人は、被害者が事件の後社会復帰できないことを知っていたことになる。
しかし、避妊具を着用していることから考えると、被害者を殺害していたとは思えない。
殺しはしない。
しかし、その後訴えられるおそれも告発される可能性もない。
となると、海外に売られていたのではないかという推察ができる。
ガレージを借りる、トラックはベッド仕様に改造してある、睡眠薬を常備するなどのことから考えて、彼らは常習犯だと思われる。
被害者の人数は数十人に及び、ある程度組織的な犯行と思われる。
愛知で起きた立てこもり事件は、ペッパーランチの事件から報道を移させるために起こされた事件だという。
(耐震疑惑のときも、ちょうどいいタイミングで別のビッグニュースが発生し、報道が移っていきましたね)
考えられるのは、日本の隣のあの国の関係か、あるいは日本を代表するクソ宗教団体か、パチンコでおなじみのあの団体か、そこらへんかな。
続報を待ちたいけど、たぶんこれ以上は何もでてこないんでしょう。
そして、風化したころに、また同じように街から行方不明者が出るのでしょう。
ペッパーランチ社長の一瀬邦夫が書いた本「ペッパーランチ物語」のコメントに、こんな書籍レビューがついていました。
すでに削除されてしまいましたが、それにはこう書いてあった。
本 ペッパーランチ物語
一瀬 邦夫 / 最安値(新品): ¥ 1,575 最安値(中古): ¥ 3,979
おすすめ度5.0(全レビューの平均)大阪在住ですがよく利用してますよ。女性一人でも 安心して気軽に利用できるのがうれしいですね。私も仲のよい友達が好きだった店でよ く利用してるんです。でもその友達行方不明なんですよね。「今、心斎橋のペパーでお 肉たべてるお」ってメールが来てから。彼女が好きだったお店だから再会できる気がし ていまでも 心斎橋のペパーに通ってるんですよ。店長さんも若いけどいい人で落ち込ん でるときとかはげましてくれるし。 (もっちぃ さんのレビュー)
都市伝説ではない。
これは、いま起きている犯罪である。
これは、いまも進行している犯罪である。
逮捕された二名以外の共犯者は、野に放たれたままだ。
警察は、それを追う気はないらしい。
その理由と意味を考えてください。
拉致組織(北朝鮮工作員の可能性大)が簡単に店長になれるペッパーフードに目を付けた
北山のような末端の工作員を続々とペッパーに送り込む
閉店前に一日一人を拉致する大規模な組織犯罪が完成する
あまりにも簡単にホイホイ拉致できるので、連絡の行き違いが起こり事件発覚
事件発覚後、何の理由もなく突然閉店した店舗リスト
大阪市中央区 心斎橋店
東京都足立区 北千住店
東京都世田谷区 下北沢店
東京都世田谷区 千歳烏山店
東京都渋谷区 渋谷明治通り沿い
福岡県福岡市 福岡・西新店
福岡県福岡市 福岡・天神地下街店
フランチャイズ店 56
直営店 23
委託店 7
2007年春号の四季報より引用
閉店した店舗数=委託店舗数と見事に一致
潰れたのが全部委託かどうかは分からないけど
店長が独断で従業員を入れ替えて犯罪の拠点に使えるような店が
最低でもあと6つあった(今もあるかも)と考えていいな
なんか組織的に拉致をやってた感じ
なんで25歳の職歴が安定してない奴に委託という形で店舗を任せたのか
フランチャイズの方が会社は儲かるだろう?
社長のコネだとしたらタダのコネじゃないだろうよ 人物もよく知ってる筈
なんで不採算店舗をあえて閉めなかったのか
そして数少ない委託の7店舗とはどういう基準でそういう契約になってるのか
はげしく気になる
(via tmgn-pix)
(via gutarin)
我が家には鉄の掟があります。
「調理した者、皿洗うべからず」
うちは夫婦共働きなので家事を分担するアイディアです。妻の方が帰りが早く平日の料理は基本的に妻、休日は僕が料理しています。するとどうしても妻の方が料理する回数が増えてしまうため、こういうルールが導入されました。
やってみると意外としっくりくるルールで、料理した後に洗い物しなくて良いって嬉しいんですよね。料理して食べてお酒飲むと皿洗い面倒じゃないですか? それが料理した後は食べるだけ。うだうだTV見ながらビール飲んで過ごせる幸せ。
逆に料理作ってもらった時は「美味しい料理をありがとう」の気持ちでお皿を洗う。とても良い。
もうひとつ利点があって、料理しながらお皿片づけられるようになりました。あんまり大量に残しておくと、家事できない人みたいでカッコ悪いんですよ。
”(via otsune)
(via gutarin)
(via gutarin)
やっぱさ 物は言い様なんだよなー
俺子供の頃からめちゃくちゃ目つき悪いんだけどさ
養父に引き取って貰う時に、根性のある精悍な顔つきしてる いい男になるって
言われて、よっぽど嬉しかったのかそのまま体育会系まっしぐらだったし
学校の勉強関係なく自分で辞書引いたのも「精悍」が初めてだしな
あと養母も、親戚連中にうちらとは血が繋がってないから、ひょっとして
ノーベル賞とかとる様な事もあるかもしれない
その時はマスコミの取材やらで迷惑かけるかもしれんけどよろしくって
なんかっちゃ言って回ってたって親戚になったジジイ聞いて びっくりしたわ
逆じゃね 普通不良になったり犯罪起こしたりで迷惑かけるかもとは考えるけどさ
よく考えると親戚連中そんなのばっかだわ
畑持ってたジジババなんて、迷惑かけられるかもじゃなくて力仕事手伝ってもらえるかもって
しょっぱなから小遣いやるから夏は家に来い来いってうるさかったわ
負の可能性じゃなくて正の可能性ばっかり口にする連中って
楽観主義っていうんかな 何なんだろうな
でも俺は嬉しかったわ 本当にめちゃくちゃ嬉しかったんだわ
33 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2013/06/12(水) 12:04:23.24 ID: Be:
親が子供に与えてあげる貴重な贈り物は自尊心だからな
なかなか大人になってからでは難しい”
(via tmgn-pix)
イタリアのサッカーの試合で、ゴールエリァのファールを取られてフリーキックになったことがありました。
誰もがエーッとなりました。
攻めている側もわかるミスジャッジでした。
サッカーは、ミスジャッジも含めたゲームです。
「いただき」でシュートを打っていいシーンです。
フリーキックをする選手は、フワーンと蹴って、わざとはずしました。
誰もが大拍手です。
最終的には、わざとはずしたチームが勝ちました。
サッカー場にいた人は最高のシュートを見たのです。
両チームとも「いまのは誤審」とわかって、もう1つ上の試合をしています。
見た目の試合に勝って生き残るよりも、記憶の中に生きのびています。
みんなの記憶の中に生き残ると同時に、気持ちが自分自身の人生に残ります。
審判に決められることではないのです。
ギリギリセーフかギリギリアウトかは自分の中の判断です。
ぶちキレそうなところを「危なかった。いま怒るところだったよ」というのはセーフです。
ぶちキレそうだったのがぶちキレていません。
「許した」もセーフです。
審判のミスジャッジに、「いまのはおかしい」と食ってかかるのを、ファンは見たくありません。
審判に食ってかかるのを見たくて、競技場へ行っているのではないのです。
ミスジャッジでも「いまのファールは厳しいよね」と言いながら見ています。
そんなこともあると、選手も見ている人もわかっています。
審判も「しまった」と思っています。
すべての人がここで救われるのです。
審判は、「フリーキック」と言ったあとで、「ゴメン、いまのはちょっと違った」とは言えません。
フリーキックをわざとはずすことで、審判の面子もつぶさずゲームの続行を共有できます。
これが大人です。
子どもは、みんなが感動しているのを見て「スポーツっていいな」と思います。
ただ勝つよりも上の世界があるのです。
”(via gutarin)